豊栄小学校の発展

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昭和二十二年(一九四七)の学制改革により、同年四月一日より豊栄村立豊栄小学校と改称された。当時児童数は男一六五、女一七八、合計三四三人であった。三十年町村合併により、松代町立豊栄小学校となった。校章の制定、プールの完成、リラの木六〇本の植樹などがおこなわれた。昭和四十一年三月に体育館が竣工した。同年、松代群発地震が活発化したため、校庭の南にプレハブ五教室を建て、ここで授業をおこなった。同年十月十六日、市町村合併で長野市立豊栄小学校となった。群発地震も収まり、地震対策国庫補助で鉄筋三階建ての校舎が竣工、同四十三年十二月、校舎竣工記念事業として記念庭園などがつくられた。

 こども郵便局は大蔵大臣、郵政大臣から数度にわたって表彰をうけている。昭和五十三年十一月、豊栄小学校開校百周年記念式典がおこなわれ、記念碑が建立された。翌年、『開校百周年記念誌』が刊行された。


写真12 長野市立豊栄小学校遠景