昭和二十二年二月、豊栄村公民館設置委員会がつくられ、運営審議委員、役職員が選任され活動が開始された。当時の事業計画をみると、四つの専門部が設置されてそれぞれの事業をおこなっている。その主なものは、産業部では農産物品評会、農民講座、藁(わら)加工講座、体育部では村民運動会、教養部では教養講座、コーラス会など、社会部では豊栄音頭歌詞募集・発表、音頭の普及などであった。昭和三十年代に公民館が取り組んだもののなかに、会費制結婚式がある。会費制で一人三〇〇〇円以内とし、うち五〇円以上は新婚夫婦に記念品を送る。健康証明書の交換など「家」からの解放と両者の合意にもとづいて結婚が成立することの意識化であった。婚姻届は式場で署名捺印され、仲人の責任において役場に提出された。平林地区は公民館で二十数組の結婚式が執りおこなわれた。
毎月、一、二回おこなわれる料理・コーラス・花道・演劇、その他先進地域の農業研修も活発におこなわれ、発表会が実施された。また、家庭教育学校班は講師を招き「民主的な明るい家庭の建設と子供の正しい育て方」などを討議した。家庭は人間形成の基礎が作られる大切な場であることなどが話し合われた。
毎年十月には町民運動会が豊栄小学校校庭で、地区のお年寄りからこどもにいたるまで参加しておこなわれている。昭和四十年の成績は、団体優勝は平林分館、準優勝は関屋分館、リレー一五〇歳優勝は平林分館、一七〇歳優勝は関屋分館などであった。