国史跡(大室谷支群)。関崎の北山から金井山にかけての尾根・谷・山麓には総数四八九基におよぶ大古墳群があり、総称して大室古墳群とよばれている。この古墳群は、北山・大室谷・霞城・北谷・金井山など主として五つのグループに分かれている。
前方後円墳は北山に一基確認されているだけで、そのほかはすべて直径一〇メートル前後の円墳である。そのうち約七〇パーセントにあたる三三〇基が積石塚(つみいしづか)であり、そのうち二五基がかみ合わせ部分を打ち割って組み合わせた合掌形(がっしょうがた)石室をもつ。こうした合掌形石室をもつ積石塚は、全国でも他には山梨県に一例、山形県に二例みられるだけの特異な形式だという。積石塚および合掌形石室は、朝鮮半島に多い形式で、とくに百済(くだら)の古墳との類似が指摘されている。積石塚がこれほどまとまっているのは全国的にもきわめてめずらしく、合掌形石室とともに渡来人との関係が注目されている。
これらの古墳のうちでは、北谷一八号の前方後円墳がもっとも古く盟主的なもので、六世紀前半の築造といわれており、その他多くの円墳はそれにつづくもので、古墳時代の終末期の八世紀中ころまでにつくられ、以後九世紀まで追葬がつづけられていたと考えられている。このうち大室谷支群は平成九年に国史跡に指定され、現在史跡公園として整備がすすめられている。