東寺尾の鳥打峠への登り口に道しるべがある。ここは三本松とよばれ、松代城下の東の町はずれとして西の勘太郎橋と対比された。碑は文化七年(一八一〇)の建立で、右面に「右川田駅道中柴弥陀道 左善光寺道」と刻まれている。ここは右は鳥打峠を越えて北国(ほっこく)街道松代通り、中は松原をへて柴へ、左は寺尾の渡しから善光寺へ通じる分岐点であった。裏面には「高坂霜台の墓関屋村明徳寺、武田典廐(てんきゅう)の墓杵淵村典廐寺、山本道鬼の墓柴村阿弥陀堂にある」と刻まれ、名所案内を兼ねている。川中島合戦二五〇年を記念して建立したもので、高遠(上伊那郡高遠町)の石工(いしく)の作である。建立者は、「松代中町島田名右衛門の次男紫之一供養し石を立てる」と刻まれている。紫之一は盲人で、一代で財をなした人だという。