鳥打峠の中腹には松代藩の刑場があり、慶長七年(一六〇二)、森忠政の検地に反対した一揆(いっき)勢の首謀者らや明治三年(一八七〇)の松代騒動の首謀者甚右衛門がここで処刑されたと伝えられる。文政八年(一八二五)建立の高さ四メートル以上もある大きな題目塔があり、かたわらの同十年建立の塔には、建立にいたるいきさつが刻まれている。塔は松代蓮乗寺の住職日明が刑死者の供養のために藩の許可を得て建立したもので、建立にあたっては千日間供養として毎日寺から建碑の場所へ通い法華経を読誦(とくしょう)したという。そのほか古い塔が破壊したので再建したこと、日蓮五百五十年遠忌の報謝のため天下太平を祈願したもので、一石一辺の経文を書写し、また一千本の卒塔婆(そとば)を犀川・千曲川へ流し、流死者の供養をしたことなどが刻まれている。碑石の運搬や建立にあたっては、近隣の信者たちがすすんで労役奉仕に出たという。