萬法寺 浄土真宗本願寺派 東寺尾 ①本尊 阿弥陀(あみだ)如来 ②山号 真如山 ③由緒 西国の武士伊藤兵部信俊が親鸞(しんらん)の越後流罪に随従し、弟子となって順仏といい、赦免後、東国へ下る途中この地にとどまって、正元(しょうげん)元年(一二五九)萬法寺を創立したという。本尊阿弥陀如来は武田信玄の守り本尊と伝えられ、信玄袈裟(けさ)掛けの松がある。太子像は、安永六年(一七七七)、松代仏師黒岩慶篤の作で、藩主真田幸弘寄進の堂名額・和歌額三枚がある。宝暦四年(一七五四)には藩の制札が立てられた。寺の裏には松代藩の舟会所があった。
長明寺 浄土宗 東寺尾 ①本尊 阿弥陀如来 ②山号 慧日山 ③由緒 古くは三輪宗で矢代(更埴市屋代)にあったが、のち杵淵(きねぶち)(篠ノ井)をへて、天文元年(一五三二)に寺尾へ移ったという。開基は寺尾氏(芙蓉院)でその墓と伝えられる石塔がある。江戸時代には一四石五斗の朱印領をうけた。参道は旧北国街道松代通りから蛭(ひる)川(関屋川)を渡って二層の楼門につづく。楼門は寛政(かんせい)八年(一七九六)の建立(『長野県の近世社寺建築』)、三手先(みてさき)の精緻な造りで、楼上に文殊菩薩(もんじゅぼさつ)・四天王を安置する。
福徳寺 真言宗 東寺尾 ①本尊 地蔵菩薩 ②山号 杵淵山 ③由緒 永享(えいきょう)二年(一四三〇)上野(こうずけ)国鶏足寺(けいそくじ)の祐俊が創立し、はじめ杵淵に寺堂を建立、永禄(えいろく)二年(一五五九)現在地に移転した。海津築城のとき地固めの修法を行じ、鬼門除けとして移ったと伝えられる(『海津旧顕録』)。塩田(上田市)前山寺(ぜんざんじ)、日滝(須坂市)蓮生寺(れんしょうじ)、赤田(信更町)専照寺とともに、真言宗信州四ヵ寺の一つに数えられ、近隣に末寺一〇ヵ寺を数える。天文二十三年(一五五四)銘の胎蔵外部天衆(叡山文庫蔵)があり、「寺尾郷福徳寺の末弟長忍が書写した」と記されている。江戸時代には朱印領二〇石をうけたが、他の寺社よりは早く、真田信之(のぶゆき)のあっせんによって徳川家康からあたえられたという(『信府統記』)。元禄(げんろく)十四年(一七〇一)、真田信房(幸道)が護摩(ごま)堂を建立して大日如来・不動尊を安置し、二〇石を寄進した(『つちくれかかみ』)。両界曼陀羅(まんだら)(伝兆殿司筆)がある。
大鋒寺 曹洞宗 柴 ①本尊 釈迦如来(しゃかにょらい) ②山号 真田林 ③由緒 初代藩主真田信之の遺命によって、万治元年(一六五八)に長国寺の観国が開き、信之の法号をとって大鋒寺と名づけた。伽藍(がらん)は信之の隠居所の用材を使って建てたという。文政七年(一八二四)に本堂と墓地の大改修をおこなった。信之は明暦二年(一六五六)隠居し、一当斎と号してここに移り、同四年九三歳で没した。松代藩は寺領一〇〇石を寄進し、金井山と金井池は放生(ほうじょう)山・放生池として、周辺一帯での遊猟を禁止した。寺から東寺尾村までは松並木がつづき、藩によって補植などの手入れがおこなわれた。また、藩では柴・牧島・小島田村の三ヵ村にたいし、非常のさいは大鋒寺へ駆けつけるように命じた(『松代藩庁と記録』)。境内には真田信之の廟所(びょうしょ)や御霊屋(おたまや)があり、ともに市の文化財に指定されている。
真田信之の霊屋は、明暦三年の建立。本尊阿弥陀三尊の左右に信之の像と信政の画像を安置する。明治四年(一八七一)花の丸から真田幸貫(ゆきつら)の木像が移された。建物は江戸時代初期の作として貴重であり、解体修理がすすめられている。
柴阿弥陀堂 ①本尊 十字名号 ③由緒 縁起によると、応仁(おうにん)年間(一四六七~六九)下総(しもうさ)(千葉県・茨城県等)の武士吉池彦四郎が出家して行西(ぎょうさい)と称し開基した。川中島の合戦後、武田信玄が武運を祈って寺堂を寄進したと伝える。元禄年間(一六八八~一七〇四)には、江戸・京都をはじめ北陸・西国方面への出開帳(でがいちょう)をおこない、天保(てんぽう)十四年(一八四三)にも本堂や鐘楼修理金勧化のための領内の巡村開帳をおこなっている。寺地は以前はもっと西の千曲川のほとりにあったが、大正年間の千曲川堤防の改修工事のため現在地へ移転した。永享(えいきょう)五年(一四三三)銘の石造阿弥陀如来像がある。真宗の名刹(めいさつ)に数えられ、江戸時代に刊行された『善光寺道名所図会(ずえ)』や『二十四輩巡拝図会』などにも掲載された。
禅福寺 曹洞宗 大室(おおむろ) ①本尊 大日如来 ②山号 大瀑(だいばく)山 ③由緒 大室氏の開基で、天文三年(一五三四)、内山(佐久市)正安寺(しょうあんじ)の宗察が開いてその末寺になった。のち衰微したが、七世徳国のとき真田信之の娘見樹院が、客殿・総門を寄進して、中興開基となった。境内には不動堂のほかに、開基大室氏の墓と伝える五輪塔、鳥打峠の登り口にあった茶地蔵、松代藩主真田幸貫の歌碑や俳人たちの句碑がある。また岩山を背景にした池がある。真田幸貫もこの風景を愛し、しばしば訪れ、自筆の書画を残した。
栄福寺 大室 真言宗 ①本尊 飯縄(いいづな)権現 ③由緒 かつては東条の岩沢にあり、東条練光寺の末寺であったが、江戸時代の中ごろここへ移ったという。本尊の飯縄権現像は銅造で、背面に「飯縄大明神一躯(く) 応永十三年(一四〇六)三月廿日 大旦那 生江沢各右衛門太夫 六十一歳 大工源入道裕正」の銘文が刻まれている。『つちくれかかみ』にも「古仏なり」と書かれた室町期の飯縄神像である。
岩居堂観音 大室 ①本尊 准胝(じゅんてい)観音 ③由緒 城山の北中腹の大岩の下にある。本尊は准胝観音であるが、土地の人は「じょんてさん」とよぶ。木造仏であるが、すっかりくずれて像容は定かではない。この観音はお堂が嫌いで、あるとき新築して移したら疫病が流行したので、それ以来露天のまま岩の下に安置しているのだと伝えられている。