鳥打峠は大室と寺尾を結ぶ峠で、北国街道松代通りの難路として知られた。明治二十五年、県費により頂上の掘割りをふくむ大改修を実施したが、掘り下げが不十分で急な傾斜が残り、車の通行は困難であった。明治四十五年、柴を迂回(うかい)する「谷街道一部変更」の建議案が埴科郡会から県知事へ提出された。「建議書」には、「(鳥打峠の北面は日当たりが悪いため)冬季三、四ヵ月は、路面が氷結して歩行が危険である」と記されている。車の発達につれて多少遠回りでも平坦(へいたん)な道路が必要とされ、鳥打峠はその使命を終えた。峠の北の登り口には茶店があって、かたわらに石地蔵が祭られて、茶地蔵とよばれていた。峠にはいくつかの石碑・石仏があり、また東寺尾の登り口には道標があって、かつてのにぎわいをしのぼせている。