寺尾の渡しは西寺尾との境にある。松代藩七渡しの一つで、西の赤坂橋と並んで松代城下から川中島・善光寺方面への出入りに利用された。舟一般と水主六人(うち船頭一人)が常備されて、五〇石分の諸役が免除されていた。近隣の村々からは繋(つな)ぎ籾(もみ)を徴収し、旅人からは平水時一〇文、出水時二二文の渡船料を徴収した。明治六年(一八七三)には船橋となって「寺尾橋」となり、明治二十四、五年ころ木橋に変わった。松代城下から東寺尾へ出て、鳥打峠の入り口から左折するのが順路であったが、のちに荒神町から直通の道が開かれた。昭和十年(一九三五)に永久橋となって川中島橋と名を改め、平成六年(一九九四)、上信越自動車道の開通にともなって四車線の松代大橋にかけかえられた。