更埴橋
柴と中村とのあいだには天保年間から柴の渡しとよばれる作場渡し場があったという。明治になって舟橋がかけられたが、洪水のたびに橋板は引き上げられ、修復までの期間は渡船を利用しなければならなかった。バス運行が始まってからも、木橋の上は、乗客は歩いて渡ることを余儀なくされた。昭和四十七年に永久橋となり、寺尾地区と長野市街地を結んでいる。
写真9 更埴橋(昭和37年ころ)バスの乗客も歩いて渡った(吉池広行提供)