千曲川の東岸に鉄道を布設する運動は明治年間から始まり、同四十四年には埴科郡会で鉄道布設を決議し、県へ陳情したが実現しなかった。大正九年(一九二〇)、河東鉄道株式会社が設立され、大正十一年六月、屋代-須坂間が開通し、柴に金井山駅が設置された。戦後は通勤・通学などの利用者が増え、昭和二十六年一月一日には大室駅が新設された。地元の要望による設置で敷地は地元が負担した。
河東鉄道・長野電鉄
千曲川の東岸に鉄道を布設する運動は明治年間から始まり、同四十四年には埴科郡会で鉄道布設を決議し、県へ陳情したが実現しなかった。大正九年(一九二〇)、河東鉄道株式会社が設立され、大正十一年六月、屋代-須坂間が開通し、柴に金井山駅が設置された。戦後は通勤・通学などの利用者が増え、昭和二十六年一月一日には大室駅が新設された。地元の要望による設置で敷地は地元が負担した。