昭和四十年(一九六五)の末から松代地区に群発地震が始まった。これは二年以上つづき、各地に被害をあたえるとともに、住民に大きな不安をあたえた。墓石の倒壊、石垣の割れ、家屋の破損、地割れなどが起こり、柴の採石場では重傷者が出た。寺尾小学校では、体育館の壁がくずれて土台に割れ目ができたので、校庭ヘプレハブ校舎を建設して二階の教室の児童を移して授業がおこなわれ、安全のための避難訓練が繰りかえされた。
松代群発地震
昭和四十年(一九六五)の末から松代地区に群発地震が始まった。これは二年以上つづき、各地に被害をあたえるとともに、住民に大きな不安をあたえた。墓石の倒壊、石垣の割れ、家屋の破損、地割れなどが起こり、柴の採石場では重傷者が出た。寺尾小学校では、体育館の壁がくずれて土台に割れ目ができたので、校庭ヘプレハブ校舎を建設して二階の教室の児童を移して授業がおこなわれ、安全のための避難訓練が繰りかえされた。