寺尾地区の寺子屋の師匠は二一人を数え、筆塚の数は一九基ある(『信濃』二五-一〇)。この数は近隣の地域に比較すると格段に多く、塚原宥慶(ゆうけい)・塚原勇作・富岡忠治・大島寅三郎・大島久作・和田政澄・田中和道らの名があげられている。師匠の職業をみると、農業八、修験(しゅげん)五、武士二、神官・医師二、僧侶一となっており、農民の師匠が多い。筆塚は明治以降のものが一二基あり、昭和になってからも四基を数える。
大室の塚原家は代々寺子屋を経営し、なかでも四代宥慶は門人が多く、関崎に歌碑がある。子の勇作は周辺の学校で教鞭をとり、のち北寺尾小学校長をつとめた。私費をもって大室の青年たちのために夜学会を開き、また塚穴研究会をつくって大室古墳群の紹介に努めた。離山のふもとに彰徳碑がある。