本名は弥作、号は菫哉(きんさい)。釜屋の農家の四男に生まれた。兄の影響で、はやくから俳句に興味をもち、「ホトトギス」に投稿したがあきたらず、社会主義にも関心をもった。のち河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)に師事して新傾向俳句をつくった。新聞記者や村役場の書記などをつとめたのち、各地を転々としながら句作をつづけ、俳人としての名声はしだいに高まったが、三五歳で没した。句集「冬の土」がある。兄の釜村も俳人として知られた。
宮林菫哉
本名は弥作、号は菫哉(きんさい)。釜屋の農家の四男に生まれた。兄の影響で、はやくから俳句に興味をもち、「ホトトギス」に投稿したがあきたらず、社会主義にも関心をもった。のち河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)に師事して新傾向俳句をつくった。新聞記者や村役場の書記などをつとめたのち、各地を転々としながら句作をつづけ、俳人としての名声はしだいに高まったが、三五歳で没した。句集「冬の土」がある。兄の釜村も俳人として知られた。