一 立地

522 ~ 522

 松代町西条(にしじょう)地区は長野市の最南東部で、千曲川の右岸にある同市松代町松代の南隣に位置する。東は同市松代町豊栄(とよさか)と同町東条(ひがしじょう)に、西は同市松代町清野と大嵐山・大日影山・象山等を境として更埴市倉科と接する。南は小県郡真田町傍陽(そえひ)と高遠山の山頂をもって境とし、北は松代町松代の道路・宅地をもって境とする。

 地形は、東、南、西がノロシ山・高遠山・大嵐山・大日影山・母袋(もたい)山・象山等の山々に囲まれ、最高峰の高遠山(一二二一メートル)を水源とする神田川が東南から北に向かって地区の中心地を流れ、松代町松代に入り千曲川にそそいでいる、魚尾を思わせる地形景観である。この神田川上流域の東西の地域および中・下流域では松代沖積(ちゅうせき)平野が形成され、いずれもこれらの地域には集落が形成されている。また、同川には古くから堰(せぎ)が発達しており、中流域は農業地帯となっている。最近では、この地域に公共施設が設けられてきている。

 明治七年(一八七四)、六工(ろっく)に近代製糸業の先駆けともいうべき器械製糸六工(ろっこう)社が設立された。太平洋戦争末期の昭和十九年(一九四四)十一月から、陸軍は本土決戦の最後の拠点として、舞鶴山の東側斜面に天皇の行在所(あんざいしょ)や大本営の入るいわゆる松代大本営地下壕を、また、象山には政府機関等が入る地下壕をそれぞれ掘った。