近世の西条は松代藩領で、明治四年(一八七一)の廃藩置県(はいはんちけん)では松代県に属した。同五年、政府は太政官布告を出して戸籍区を改正し、新たな区を編成した。西条村は長野県第二九区となる。同七年、政府は区制を廃止して大小区制をしき、西条村は北第一三大区第五小区になった。同九年十月、西条村に城下の表同心町・裏同心町が編入された。同十一年十二月、大小区制は廃止となり、県下は一六郡に編成され、西条村は長野県埴科郡西条村となった。埴科郡の郡役所が屋代村に置かれ、西条村には戸長役場が置かれた。
行政区画の分合
近世の西条は松代藩領で、明治四年(一八七一)の廃藩置県(はいはんちけん)では松代県に属した。同五年、政府は太政官布告を出して戸籍区を改正し、新たな区を編成した。西条村は長野県第二九区となる。同七年、政府は区制を廃止して大小区制をしき、西条村は北第一三大区第五小区になった。同九年十月、西条村に城下の表同心町・裏同心町が編入された。同十一年十二月、大小区制は廃止となり、県下は一六郡に編成され、西条村は長野県埴科郡西条村となった。埴科郡の郡役所が屋代村に置かれ、西条村には戸長役場が置かれた。