三 村名「西条」の由来

524 ~ 525

 『和名抄(わみょうしょう)』によると、埴科郡内には七つの郷名が記され、そのなかに「英多(えた)(あがた)郷」がある。この郷域については不明な点も多くあるが、現在の松代町一帯が同郷に比定されている。一〇世紀前後には英多郷内にも条里的地割が導入され、地域的区分の名称として東条、中条、西条が成立したと考えられる。平安末期には同郷は荘園英多荘となったと思われる。荘園に移行してからも東条・中条・西条の地域的な区分は、受け継がれたと考えられる。永禄(えいろく)十二年(一五六九)西条祐意によって中村神社の神殿が再建されたが、そのおりの棟札(むなふだ)に「信州埴科郡英多邊庄西條大国大明神社頭造営」とあり、これが西条の初見である。このことは、これ以前に英多荘内に西条の地域が成立していたことを意味している。慶長(けいちょう)七年(一六〇二)の「川中島四郡検地打立帳」(森検地)には一二五九石余の石高を有する西条村が記されている。

 村名「西条」は、古代英多郷に条里的地割が導人されたことにともなう地域的名称「西条」に由来する。