舞鶴山の山頂の北西縁にあり、全長三六・五メートル、後円部径一九メートル、同高さ約三メートル、前方部幅一八メートル、高さ一・五メートルの東面する前方後円墳で、前期古墳時代に属する。主体部は破損されているが、後円部頂には竪穴式石室(長さ三・三四メートル、幅〇・六六メートル、深さ〇・五四メートル)があり、側壁は控え積みもない簡素な石室であった。遺物は散逸して不明であるが、中村神社に蔵されている滑石製刀子(とうす)、個人蔵の滑石製刀子などは、舞鶴山一号・二号古墳出土との伝承がある。一号古墳とは三〇メートルの距離にある。昭和五十三年二月二十五日、舞鶴山一号古墳とともに長野市史跡に指定された。両古墳に関する資料は長野市立博物館に保管されている。