鞍骨(くらほね)山から東北方向に延び、松代町の西南に突きでた支脈の高所を象山といい、古くは竹山といった。この山のもっとも高いところにある山城である。『海津近傍古城考』(幕末の高野莠叟(ゆうそう)著)には「この城は古くは塚であった。古墳築造の時に使用された石と、この城の築造に使用された石とは石質が異なる。また南部の外郭(くるわ)に小さな神祠(しんし)がある。(中略)山城にしては大きな部類に入る。東の総廓の石垣は先年恵明寺(えみょうじ)の再建の時に取り崩した。また、南の廓も維新後開発が進み、古い形は失われた」と記している。また、この城は西条に古くから居を定めていた西条氏代々の要害であるとしている(『更埴地方誌』③)。