西条地区で、もっとも多い石造物は石灯籠(いしどうろう)(二三基)である。庶民から藩主にいたるまでさまざまな人びとが地区内の寺社に奉納寄進している。これらのなかで、六工の開善寺の境内にはもっとも古い承応(じょうおう)三年(一六五四)の銘のものがある。東六工の白鳥神社には文化・文政期の藩政に参画した藩士恩田木工(もく)、望月頼母(たのも)らの献灯によるもの、また、筒井の西楽寺境内には清水親子の寄進による常夜灯二基などがある。欠には、関屋為仲公一族之碑もある。
庚申(こうしん)と道祖神とは、信仰内容や崇拝対象がそれぞれ違うので建立の場所も異なるのである。しかし、西条地区には蛭川(関屋川)の東側の道端、個人宅の前、二差路、四辻などといったそれぞれの場所に、自然石の庚申塔や道祖神が同時に祭られている。六地蔵は、西楽寺境内に八基、入組公民館に六基と二ヵ所にある。鹿島には天保(てんぽう)十一年(一八四〇)の銘のある念仏塔がある。また、般若(はんにゃ)寺の再建をおこなった沖和尚行業の顕彰碑が般若寺跡にある。乾徳寺門前には、長野市内唯一のものと考えられる文政十年(一八二七)の銘のある社日(しゃにち)塔がある。同塔と並んで「山地護感徳大菩薩」の名を刻んだ碑がある。