『日記繰出』にみる西条村

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『日記繰出』は、松代藩の藩政の日記類の記録を事項別に、あるいは役職別に分けて編年順に抽出したものである。同書の作成の目的は、種々の案件を処理するために、先例を迅速に検索し参照することが必要であったからである。同書にみえる近世後期の西条村に関係する記事をみると、明和七年(一七七〇)藩は、西条村に神田川普請工事を命じている。内容はわからないが、堰の改修か護岸工事であろう。天保(てんぽう)七年(一八三六)には、同村の大工の荘治は長国寺の玄関の普請を引き受け、「格段に精を出し立派にできあがった」として、役儀を特別免除されている。嘉永(かえい)元年(一八四八)、林兵衛夫婦は母への孝養が認められ、藩から籾子(もみこ)二俵を拝領している。

 また、火事がたいへん多かった。天保二年七月十日夜五時ころ、神田川端に積み置いた干草が燃えだしたが、発見が早く大事にいたらなかった。同三年二月二十四日、野火が南風にあおられ、中村神社にせまり一部が焼けた。このため、御宮奉行や道橋奉行らが出向いて普請の方策を練った。さらに同八年正月四日夜、同年十月六日夜四時過ぎにそれぞれ西条村に火事があったことなどが記されている。