農民の構成と年貢

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西条村は蔵入地と知行地の混在した村である。慶応二年(一八六六)の「寅(とら)御年貢土目録(どもくろく)」によると、西条村の八割は蔵入地である。その石高は一一四八石余である。このなかで引地(免除地)は、御家中屋敷地が三五パーセント、寺院・神社地が三五パーセント、その他三昧場(さんまいば)や古塘(ことう)や道などがあり、その総高は八九六石余である。すなわち、約七八パーセントが免除地となっている。したがって、課税対象石高は二五二石余で、これにたいして五割三分の税がかけられた。取米(税)は一三三石余である。その他新田が三二石余あり、この地の古川欠(かわかけ)や石砂入などの免除地を引くと一六石余となる。新田の税率は三割五分で、その取米(税)は五石余となる。したがって、本田、新田両田の取米(税)の合計は一四六石余となる。藩へは籾(もみ)で納めることになっていたので、籾に換算すると六〇三俵余となる。その他雑税として三品小役(下綿・役荏(やくえ)・大豆)や山年貢三二俵、草山年貢一四俵など、家作冥加、水車持分、竹山・象山維持などの税が加算されて、藩に納入すべき総籾は六六一俵余となる。慶応四年(一八六八)の「家数人別五人組御改帳」によると、農民構成は総家数二四二のうち、一打(本百姓)が多いのが特徴である。牛馬は二八匹と多いほうである。