大本営を松代に移転

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昭和十九年(一九四四)日本はマーシャル諸島などを失い、中部太平洋方面の戦況の悪化にともない、陸軍は本土空襲にそなえて安全な場所へ大本営の移転を計画し、内密にその適地の調査を始めた。調査の結果、松代盆地が移転地として最適であるとの結論に達した。その適格条件は、①戦略的に本州のもっとも幅の広い地帯にあり、近くに長野飛行場がある。②地質的に地下壕掘削に適している。③施工面からみて、長野県は比較的労働力が潤沢である。④人情が純朴で、信州は神州に通じ一種の風格がある等があげられた。

 同年九月、陸軍は松代へ大本営移転を決定した。この工事は軍の機密であるため、本当のことは明かされず、長野県庁、関係五ヵ町村役場へは「松代倉庫新設工事」であるとのみ伝えられた。その工事現場は、イ、ロ、ハの三地区に分かれ、イ地区(松代町・清野村)に一三九棟、ロ地区(西条村)に七八棟、(地区(豊栄村)三〇棟で、計二四七棟の木造平屋建ての宿舎を建設することであった。九月中旬には東部軍より作業隊が到着、資材は陸軍需品廠(しょう)から運びこまれた。長野県からは、労務報国会の会員、地元消防隊員等が一日三〇〇人の動員体制で参加し、建設工事は急速にすすんだ。工事は予定より半月も短縮され、十月下旬に全工事が完了した。こうした工事従事者で三地区には大集落が出現することになった。同時に、朝鮮人労務者の入居が始まった。