陸軍省から地下壕掘削の工事命令が、昭和十九年十月四日に発令された。この工事は運輸省に委託され、同省は、その施工を西松組(現西松建設)に請け負わせた。同年十一月十一日、午前十一時に第一発の発破がかかった。壕は倉庫とよびイ、ロ、ハの三地区を掘削した。①イ号倉庫―象山を掘削、壕は二〇本、延ベ一万九三六九平方メートル、②ロ号倉庫―ノロシ山・白鳥山に壕五本を掘削、延べ八七〇六平方メートル、③ハ号倉庫―皆神山に六本を掘削、延べ九九六七平方メートル、合計延べ三万八〇四二平方メートル(一万一五〇八坪)、総延長九五一〇メートルにおよぶ地下施設である。掘削の方法は全断掘削機などはなく、すべて人海作戦で約七〇〇〇人の朝鮮人労務者が三交替徹夜で作業をおこなった。同二十年三月二十三日、行在所(あんざいしょ)、大本営の着工命令が出され、本格的な工事に入ることになった。その場所は、ロ号倉庫工事地域である。同年四月四日、工事現場を取り囲む西条村筒井・六鹿・入の三集落一二四世帯にたいして、役場を通じて「五日間以内に急遽(きゅうきょ)立ち退きするよう」との命令が出された。西条村の山林一〇二町歩に立ち入りが禁止され、田畑六七町二反が買収され、それぞれの集落の住民は月末までに親戚を頼り移転した。軍の関係者は、その間、西楽寺を宿泊所にして、田畑などの買収作業をおこなった。イ号倉庫(象山地下壕)は、政府機関を数省に縮小してここに収容し、日本放送協会や中央電話局が使用する。ハ号倉庫は、皆神山の地質からみて食糧倉庫とし、その一部は地元民の防空壕として使用すると発表された。