昭和二十年八月十五日の敗戦と同時に、一連の工事は中止された。大蔵省財務局に報告された地下倉庫の施工出来高は、イ号倉庫は八〇パーセント、ロ号倉庫九〇パーセント、ハ号倉庫は一〇〇パーセントであった。仮皇居となる施設は九〇~一〇〇パーセントのできあがりであった。これらの工事用の資材・建造物は、長野県・地元町村・関係会社に払い下げられ、買収されていた土地・建物は元の所有者に払い下げられた。西松組の朝鮮労務者は、一人当たり二五〇円の帰国支度金が与えられ帰国した。ロ号倉庫の施設は同二十二年、中央気象台分室となり、同二十四年には地震観測所と改称した。