今は廃寺となってしまったが、西条村の安養寺の本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)は、元名倉というところの岩の上に安置してあったものだという。いつのころであるかわからないが、近くに住んでいた貧家の土民が盗みだして背に負い、川中島地方の村々を歩いてまわり、米穀や木綿などをもらいうけ、また、山中へ行っては紙や麻などを勧進(かんじん)してもらい、儲(もう)け仕事の手立てにしていた。あるとき、西条村を歩いていると、殊(こと)のほかに疲れたわけではないのに、背負っていた阿弥陀如来の像に、重みがにわかに加わってきたので、石垣の上に置いて休息した。そして、ふたたび背負って立とうとしたが、大盤石の如くで、少しも動かなくなってしまった。その男は不思議に思うとともに、自分の犯した罪の恐ろしさに気づき、村の庄屋のところへ行ってこのことを話して懺悔(ざんげ)した。驚いて駆けつけた庄屋をはじめ、村びとが寄り集まって動かそうとしたが、阿弥陀如来の像は依然として少しも動かない。そこで、巫女(みこ)を呼んで如来さんの仰せを聞いてみると「我はこの土地に縁があるので、永くこの地にとどまって、衆生を済度するであろう。我を盗み出したものも宿縁によって貧苦のなかから救って取らせるから安心せよ」との御託宣があった。そこで、安養寺の本尊として遷座することにすると、今度は軽くなって、楽に運ぶことができた。こうして、安養寺の本尊としてあがめ奉ることになったという。