日中戦争・太平洋戦争での、松代町区内の戦没者は八八〇人である。妻女山招魂社の霊璽簿によると、西条地区の今次の戦争犠牲者は合わせて八八人の多きにのぼった。昭和二十年(一九四五)十月には連合軍総司令部から日本の民主化の指令がいろいろ出された。公職追放もその一つである。地区内では職業軍人二人、翼賛壮年団長三人、在郷軍人分会長六人がその対象となった。日本の民主化は、同二十二年五月三日、日本国憲法が施行されるとともに進展することになったのである。
一 敗戦と民主化への道
日中戦争・太平洋戦争での、松代町区内の戦没者は八八〇人である。妻女山招魂社の霊璽簿によると、西条地区の今次の戦争犠牲者は合わせて八八人の多きにのぼった。昭和二十年(一九四五)十月には連合軍総司令部から日本の民主化の指令がいろいろ出された。公職追放もその一つである。地区内では職業軍人二人、翼賛壮年団長三人、在郷軍人分会長六人がその対象となった。日本の民主化は、同二十二年五月三日、日本国憲法が施行されるとともに進展することになったのである。