昭和三十三年十月の台風二一号・二二号は大きな被害をもたらした。神田川の堤防が決壊し、橋の流失、道路の決壊が五ヵ所におよんだ。流失田一反・畑四反、埋没畑六反、冠水田三反・畑二一反、それに家屋の床下浸水六戸の被害が出た。同三十七年七月十三日の集中豪雨は神田川をまたもや氾濫(はんらん)させ、農地に被害をあたえた。堤防の護岸七ヵ所が決壊し、また、表組の軍用橋には上流から濁流に押し流された橋げた・流木が詰まって流れをせき止め、流水は堤防を越水し、代官町通りを濁流が洗い、低湿地帯の農地二〇〇町歩は泥海となった。災害救助法が適用され西条地区の給水復旧作業のため松本から自衛隊員四〇人が派遣された。翌年十月までには、神田川上流大梨子に砂防大堰堤(えんてい)、大日影地籍にも同規模の堰堤がつくられた。地震観測所に通じる橋は永久橋に掛けかえられた。西条小学校前付近・表組地籍の神田川の復旧工事、それに恵明寺前の護岸改修が全長二〇〇メートルにわたっておこなわれた。