舞鶴山の旧大本営地下壕は、昭和二十二年(一九四七)五月中央気象台分室となり、二十四年地震観測所と改称して現在にいたっている。四十二年二月に松代地震センターが同観測所内に設置された。
昭和三十六年三月、神田川を水源とした西条浄水場が設置された。翌三十七年には西条遊園地が設立された。同四十年八月から起こった群発地震で、長野県松代高校の校舎に被害が出て、移転先を西条に決定した。同四十三年十月一日、校舎全面移転改築竣工式典が創立六〇周年記念式典を兼ねておこなわれた。五十一年四月、長野市栗田から長野県警察学校が西条に移転してきた。その後、機動センターが開設された。また、五十四年四月、長野市社会事業協会により西条保育園が六〇人規模で開園した。同年同月、国庫補助で松代同和対策集会所が開設された。
昭和六十年、ビクニ・尾崎地籍に青垣公園が開園した。この公園は松代城復旧工事計画の一環として、近隣公園建設の構想であったが、地区公園となり、同六十一年に着工された。特色は、地域住民の健康運動の推進と福祉の増進をはかるための公共施設で、公園内の施設は体育館(昭和五十七年建設)・市民プール・多目的広場・ゲートボールコートなどがある。平成十四年三月三十一日完成予定である。