中津地区は犀川扇状地(川中島平)のほぼ中央部に位置する。面積は三・一〇平方にキロメートル、標高は昭和小学校で三六〇メートル、少々南東に傾斜している平坦(へいたん)の地である。北は川中島町今里、西は篠ノ井岡田、同布施高田、東は川中島町御厨(みくりや)地区に接している。米麦二毛作の穀倉地帯といわれたところである。大正末から昭和初期には養蚕もさかえた。太平洋戦争後はモモやリンゴ栽培などがさかんになった。
地区の中央部を市道三三〇号線(旧北国(ほっこく)街道)が南北に縦貫している。北は川中島地区、南は篠ノ井地区に通じる。原は街道沿いに家並みがつづいている。かつては北国街道丹波島宿と屋代宿の中間にあたる間(あい)の宿で、市(いち)も立つにぎやかなところであった。昭和十六年(一九四一)には地区の東方に国道一八号(現主要地方道長野上田線)が開通した。戦後、沿線には専門店・大型店・スーパーなどが進出し、めざましい発展をしている。
平成十年(一九九八)の冬季オリンピック長野大会の選手村が今井地区につくられ、同時に信越線今井駅も新設された。現在元オリンピック選手村は「今井ニュータウン」として高層住宅(市営住宅・公務員宿舎・分譲マンションなど)を中心に一〇三二戸(十一年十月末)があって約九七二戸が入居している。今後、約三〇〇〇人の街が予想される。今井ニュータウンは、平成十年三月三十日から「川中島町今井原」という大字区域名となった。
地区は道路網の拡大や整備、宅地の造成などによって人口も増加し、いっそう都市化が進行している。