三 中津村の由来

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 明治二十二年(一八八九)、市制・町村制の実施にともなう原・今井両村の合併にさいして、新村名が中津村と命名された。『長野県市町村合併誌』には、右二ヵ村の意見なりと記述されているのみで、中津と命名した由来についての文書はない。しかし、津は古代に船の停泊するところをいい、河川の港にも使われた。ここから、津が船着き場から脱却してその地方の中心的な機能を帯びた場合も津と称された。

 中津地区は、川中島平のほぼ中心部に位置する。江戸時代には、北国街道の間(あい)の宿としてにぎわい、また十二斎市が開かれ物資集散(流通)の地でもあった。明治二十二年町村制が実施されたころは、信越線(長野-軽井沢)が開通して間もないころで、まだ中津地区は街道を中心にさかえ活気があった。今井・原両村の合併にあたり、川中島平の中央にある物資集散の地にちなんで川中島の中と津を合わせて、中津村と命名したものと考えられる。村人は中津村がますます発展するよう熱い願いをこめて命名したのであろう。