二 寺院

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 蓮香寺 浄土宗 原 ①本尊 阿弥陀如来(あみだにょらい) ②山号 光明山 ③由緒 蓮香寺縁起によれば、貞治(じょうじ)六年(正平(しょうへい)二十二年、一三六七)善室によって原の西畑沖に創建された。その後、慶長(けいちょう)元年(一五九六)七世恵等によって現在地へ再建された。現在山布施村山の荒神堂に安置されている木造伝子安荒神座像(重文)は、戦国時代に戦禍から守るために疎開したという。座像は村上義清が、夫人の安産祈念のためにつくったといわれる。

 本堂は明和四年(一七六七)再建、昭和三十四年(一九五九)屋根を鉄板葺(ぶ)きにしたが翌年一月に焼失、現本堂は同四十二年に落成した。庫裏(くり)は弘化四年(一八四七)の大地震で倒壊、嘉永(かえい)六年(一八五三)に再建、鐘楼門は明治十三年(一八八〇)、開山堂は同十七年の建立で、開基(善室)と呑竜(どんりゅう)の分身が祭られている。毎年四・八月の八日は、縁日法要がおこなわれ、参詣者でにぎわう。平成十年(一九九八)の冬季オリンピック長野大会のさい、本堂・庫裏をドイツ国の選手、役員などのゲストハウスとして提供、その成果が大きいということで、ドイツ大統領の名において勲章を授与された。


写真4 蓮香寺の鐘楼門

 切勝寺 真言宗 今井 ①本尊 大日如来座像(だいにちにょらいざぞう) ②山号 兼平山 ③由緒 寿永二年(一一八三)今井兼平の開基、岩害刑部が兼平の命をうけて建立した。治承五年(一一八一)横田河原の合戦に勝利し、戦いに切り勝ったので、兼平山切勝寺(さいしょうじ)と称した。かつて寺は、総本山長谷寺(奈良県桜井市)の直轄寺としての格式があった。木造聖観世音菩薩立像(市指定文化財)は、像高七六・四センチメートル、檜(ひのき)材一木造り漆箔(しっぱく)像で藤原時代の後期に属する。寺は数度の火災にあい、現本堂は寛政四年(一七九二)に再建された。

 北原大仏 北原 ①本尊 阿弥陀如来座像(丈六仏) ②由緒 元和(げんな)二年(一六一六)の創建。寛政四年の「今井村明細帳」に「古来より御除地、弥陀堂長さ一五間、横八間」とある。同十二年に再建され、七月八日大仏供養がおこなわれた。以後七月八日は縁日となり、延命長寿の大仏として信仰された。明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により大仏殿は解体され、本尊は村びとの願いで切勝寺へ預け置かれた。戦後、昭和二十四年(一九四九)北原区民の願望によって現在地に再建され、阿弥陀仏も帰還し、こんにちにいたっている。


写真5 北原大仏(通称延命大仏)