今井村の初見は、慶長(けいちょう)七年(一六〇二)森忠政検地の「四郡検地打立之帳」である。元和(げんな)八年(一六二二)今井をふくむ川中島八ヵ村一万石は、上田藩仙石忠政領六万石の飛び領地となった。宝永三年(一七〇六)からは、上田藩松平忠周(ただちか)の飛び領地となる(ただし忠周が京都所司代になると享保(きょうほう)二年(一七一七)から同十五年のあいだは幕府領)。享保十五年八月上田領二代藩主の忠愛(ただざね)は弟忠容(ただやす)に、五〇〇〇石を分知し、塩崎旗本知行所が成立した。そののち今井村は明治維新まで同知行所に属した。