原の初見は、弘治(こうじ)二年(一五五六)武田信玄が西条治部少輔にあてた朱印状である。慶長八年(一六〇三)入封(にゅうほう)の松平忠輝領(花井吉成城代)時代、同十六年北国(ほっこく)街道が成立したことによって、丹波島宿と矢代宿あいだの間(あい)の宿となった。元和八年真田信之が上田から松代へ入封し、以後、原村は江戸時代を通して松代領であった。
原村
原の初見は、弘治(こうじ)二年(一五五六)武田信玄が西条治部少輔にあてた朱印状である。慶長八年(一六〇三)入封(にゅうほう)の松平忠輝領(花井吉成城代)時代、同十六年北国(ほっこく)街道が成立したことによって、丹波島宿と矢代宿あいだの間(あい)の宿となった。元和八年真田信之が上田から松代へ入封し、以後、原村は江戸時代を通して松代領であった。