相撲興行

575 ~ 576

享和(きょうわ)三年(一八〇三)七月、今井村の神主・長百姓・組頭から庄屋へ願い書が出された。その主旨は、来る七月二十七日の諏訪大明神神社(現今井神社)の祭礼にあわせ、同社地内でしばらく途絶えていた相撲興行をしたいというものである。当時、奉納相撲(興行)は庶民の楽しみであった。近隣の村々でも神社境内に土俵をつくって相撲がおこなわれた。