今井村の枡騒動

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枡(ます)騒動は、宝暦(ほうれき)十一年(一七六一)十二月上田領で起きた百姓一揆(いっき)の余波をうけて、上田領分知(ぶんち)の塩崎旗本知行所の今井・上氷鉋(かみひがの)・塩崎三ヵ村百姓が、翌十二年一月十八日、代官所へ強訴(ごうそ)した事件である。

 宝暦十二年一月十三日、今井村では惣(そう)百姓が集まり相談の末、①年貢引き下げと定免をおこなう。②金納米を松代・須坂・善光寺領並みの相場にする。③夫給(一人前の夫給金二分ずつ五〇人分)の差し出しを免除する。④御仕送金差し出しを免除する。⑤籾枡(もみます)一斗一升枡使用で、一俵五斗五升入りを籾枡一斗六合入り枡使用を認め一俵五斗三升下げにする。以上五項目の要求をした。⑤はもとの一斗六合枡にもどせという訴えで、枡騒動といわれるゆえんである。この騒動の主体は組頭や百姓代であった。百姓の要求はほとんど認められず、現状のままで終わった。最終的に今井村の五右衛門と助右衛門が手鎖とほだあし(足かせ)の処分をうけた。宝暦十三年十月百姓側は、徒党で願いたてた非を認め、惣百姓連印の請書を提出して、枡騒動の一件は落着した。


写真7 1斗6合枡 (島田尚光所蔵)