中津婦人会の活動

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婦人会は明治三十年代に各地でさかんに結成された。中津婦人会は同三十五年(一九〇二)四月三日に発会式をおこない、会長には中津小学校長がなった。同年の十月十九日の信毎紙上には「更級中津婦人会」の見出しで、「同会は去る十七日神嘗祭(かんなめさい)を卜(ぼく)して例会を中津小学校内に開く。会者八〇名会長小林広助氏開会の辞あり、続いて役員の補欠選挙、それより講話にうつる。同校職員小沢八十重(やそしげ)氏は『婦人の同情心と勇気』につき、同村丸山尚氏は『吾人の健全なる人生観および世界観』につき述べ、休憩。一同食堂に会し昼飯を喫し、午後再び会場に集まり、この度は長野高等女学校教諭鳥羽松枝氏の折形の教授あり、三時間の長き会員は喜んでこれが実習をなし、終りて別室にて茶話会を開く。席上会長より愛国婦人会の趣旨の説明および同長野支部よりの照会状等につき談ずるところあり、午後六時近きころ解散せり」とある。同三十八年一月には出征軍人家族を招待して茶会を催したりなどするようになった。同四十年から四十二年にかけて基本金募集をおこない、およそ二〇〇円の活動基金が集まった。その後の活動も小学校を主会場につづけられ、料理・手芸の講習・理科実験・婦人の職分などの講演などがおこなわれた。