蓮香寺の開山堂内には、群馬県太田市にある関東一八檀林(だんりん)のひとつ大光院の開山、呑竜(どんりゅう)の分身像が祭られている。つぎは呑竜さんにまつわるお話である。
呑竜は永禄十二年(一五六九)八月、一四歳で頭をそって仏門に入った。法名(仏門に入って僧となる人に、その宗門で授ける名)を曇竜(どんりゅう)といった。その後、慶長十八年(一六一三)に秀忠の命により、群馬県の大光院の開山(最初のお坊さん)になった。そのころのあるとき、曇竜は夢をみた。「海竜王のたのみで竜宮にいって、仏の教えをお話しした。ところが、一悪竜がいた。この悪竜をふせぐために、曇竜はみずから金鵄(きんし)鳥(金色のとび)となって悪竜を呑(の)みこんでしまった」という。夢からさめた曇竜は、このことがあってのち、曇竜の法名を改めて呑竜というようになった。
元和(げんな)七年(一六二一)に呑竜は、自分の像をつくらせ、開眼供養(かいげんくよう)(新たにできた仏像に眼を描き入れ、仏の魂を迎え入れること)をおこなった。扇をねじり頭を下げて「これ死竜か活竜か、なんじよく老僧にかわり、のちのちの世まで寺を守るか」とたずねた。像はなにも答えなかった。そのため呑竜は像をただちに火のなかへ投げ入れてしまった。
呑竜は二年後にふたたび像を彫らせて、前と同じように告げたところ、像はたちまち眼光を放って頭をたてに三回振ったといわれる。これが、現在大光院に安置されている像である。この像の分身が蓮香寺の開山堂に祭られている呑竜和尚の像である。