養蚕業の終焉

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戦後、養蚕業は内需の増加、生糸の輸出などによって一時好調になった。昭和二十六年(一九五一)ころ、中津村の養蚕業は三一八戸、掃立量(はきたてりょう)一万二二六三グラム、収繭量(しゅうけんりょう)一万一四九五貫(約四三トン)、推定価格一八〇六万円、反別三九町歩、推定一戸平均収入五万六八〇〇円であった(「県庁蚕糸課資料」)。しかし、その後養蚕戸数は同三十二年二四五戸に減少、さらに人件費の安い外国からの生糸や繭の輸入などによって年々減少し、同五十一年には一九戸、平成元年(一九八九)一戸となり、明治以来誇った養蚕業はついに同二年当地区から完全に姿を消した。