中津村では、昭和十九年以前に開設された商店(卸売業・大型店・スーパーをふくむ小売業)は七店で、同二十年~六十三年に七二店、平成元年以降は四三店が開設された。平成九年六月現在の商店総数は、一二二店(うち卸売業二五店・小売業九七店)。従業者総数は、一〇四四人。年間の商品販売額は約七〇四億六〇〇〇万円である。卸売業二五店を分類別で多い順にあげると、①機械器具、②飲食料品、③建築材料・鉱物金属などである。同様に小売店九七店は、①その他、②飲食料品、③織物・衣服・身の回り品、④自動車・自転車、⑤家具・什器などとなっている(『長野市の商業』)。卸売業の年間商品販売額は、平成三年をピークに下降傾向を示している。小売業は前回(同六年)にくらべいずれの分類も増加している。
市道三三〇号線(旧北国街道)には、古くからの小売店がある。主要地方道長野上田線(旧国道一八号)沿線へは、昭和四十年代から大型小売店の進出がはじまった。同四十三年にマル井家具専門店(隣接の御厨)が進出し、同五十二年に清水家具、同五十五年ショッピングタウン川中島(現西友川中島店)、平成年代には川中島中央ショッピングセンター(マツヤ南川中島店)、長野トヨタ自動車川中島店、家具プラザなどが出店した。現在この路線沿いには、小売業・事業所などが軒を連ねている。また、ここから今井原(元オリンピック村)に通じる市道北原今井線沿いへも商店が進出しており、今後ますます発展が予想される。
高度経済成長が始まった昭和三十五年ころ当地の地価は、旧市街地にくらべ割安であった。そのため同年、長野愛知電機川中島工場(創業は昭和十七年、名古屋)が用地を取得し、川中島町誘致工場の第一号として同三十六年から操業を始めた。同社の同三十八年一月の従業者数は一五七人、平成十一年十一月末には二四二人に増加した。平成八年当地の製造業の全体数は三四ヵ所、従業者数は八七七人(男六三四・女二四三)で、そのうち四人以上の製造業は、コヤマ川中島工場株式会社(原)など一八を数える。製造業数は当地事業所全体のおよそ一〇パーセントを占めている(『長野市の事業所』)。