わが国経済の発展につれ自動車が普及した。それとともに道路の新設や舗装などが急速に整備され、交通はたいへん便利になった。最近では畔(あぜ)道以外に未舗装道路をみることがまれになった。
戦後、バス運行路線は、しばらく停滞したが、そののち路線の拡張、新設がおこなわれ、昭和四十年(一九六五)には国道一八号(現主要地方道長野上田線・県道長野上田線)では一〇分ごとに、県道(現市道三三〇号線)では二〇分ごとに運行され、地区はさらに便利になった。現在は自家用車などの普及によって、バス利用者は減少している。しかし、大型観光バスなどの運行利用はさかんである。
平成十年(一九九八)の冬季オリンピック長野大会は、当地に大きな影響をあたえた。今井地区にはオリンピック村(選手宿舎)が建設され、水田や果樹畑の田園地帯に新しい大きな住宅街ができた。JR今井駅も新設され、選手村とオリンピック競技会場を結ぶ道路も建設された。国道一九号長野南バイパスへつながるための川中島三三五号線がつくられた。これは白馬・飯綱・志賀・市内各競技場へ向かうルートのアクセス道路として重要であった。
平成六年六月九日の県道・国道の交通量調査(県土木部調査)によると、国道三万一二九七台は県道にくらべて約一・九倍、大型車交通量二四八九台も約一・七倍と多い。市道三三〇号線は交通量未調査のためくらべられないが、県・国両道よりは交通量がはるかに少ないことが推察される。