明治六年(一八七三)八月戸部・原・上布施三ヵ村は、伊勢社境内神主休泊所を仮校舎として時習学校を設立した。ついで今井村も同八年日新学校から独立して、荒屋組中原に保祐学校を創立した。同十九年四月、今井(保祐)学校と時習学校を統合して高等小学北原学校(今井・原・御厨(みくりや)三ヵ村)となり、同二十年十一月現在地に校舎を新築開校した。同二十二年四月北原尋常小学校と改称(中津・御厨両村立)。同三十三年四月小学校令の改正により高等科を併置し、北原尋常高等小学校となった。
明治三十四年四月から二六年間分かれていた中津・御厨両尋常高等小学校が、昭和二年(一九二七)九月再統合して昭和尋常高等小学校となった。同十六年昭和国民学校、同二十二年新学制の昭和小学校、同四十一年十月長野市立昭和小学校となり現在にいたっている。今井原のニュータウン(元オリンピック村)が通学区となった昭和小学校の児童数は、平成十年(一九九八)五月八八七人だったが同十一年十二月二十四日現在九三七人に増加している。