御厨(みくりや)地区は犀川扇状地(川中島平)の中央部に位置する。北部は、下堰支流の広田沢堰(せぎ)をもって稲里(いなさと)町田牧(たまき)・川中島町上氷鉋(かみひがの)と境し、西部は耕地をもって川中島町今里、西荒沢堰で川中島町今井・原と境している。東部は稲里町田牧・広田と、南部は篠ノ井東福寺と耕地をもって接している。形状は東西一・八キロメートル、南北二・五キロメートルと南北に長い矩形である。ただし、南部は篠ノ井東福寺地籍が突出しているため、南東部は枝分かれしている。標高は北西端の三六〇メートル(川中島共選所付近)から、南東端の三五〇メートル(上庭(じょうてい)信号付近)と平坦(へいたん)な犀川の沖積地で、土壌は肥沃(ひよく)である。地区の中央部を南流する戸部堰は、戸部区で宮堰・空田(そらだ)堰・大御堂(おおみどう)堰に分流し、灌漑(かんがい)用水にも恵まれている。
地区の北西部には主要地方道長野上田線(旧国道一八号)、昭和五十七年(一九八二)には南東部に国道一八号が開通した。道路沿いには流通・サービス業などの企業が進出し、新しい市街が形成された。地区を横断する道路には県道川合川中島線があったが、長野冬季オリンピック大会に関連して市道今井田牧線が新設された。この新設道路沿いにも新しい街並みが形成されつつある。昭和四十六年にこの地区の北東部に御厨団地、つづいて神田団地が造成され、人口が急増した。また、御厨地区の南部の合戦場・金井田地籍にかけて昭和六十年に合戦場・金井田団地が造成され、平成十年(一九九八)には北戸部に「四季の杜(もり)」団地も造成された。このように道路条件に恵まれた御厨地区は、かつての田園地帯から近郊住宅地帯へと変わりつつある。
中央部の御厨団地に隣接して御厨公園・犀南(さいなみ)市民プール、南部の下布施から篠ノ井東福寺・小森にかけて南長野運動公園(長野冬季オリンピック大会開閉会式場)がある。また、新旧国道一八号沿線やその付近には長野南郵便局・JAグリーン長野川中島共選所・明治乳業株式会社をはじめ、大型量販店などが多い。面積二・六四平方キロメートル、標高三五六メートル(御厨役場跡、『県統計書』昭和二十五年刊)、世帯数一三七三・人口四三三九(平成十一年十月一日現在)。