市制・町村制の施行

608 ~ 608

明治二十二年市制・町村制が施行された。この施行に先立ち、県は有力市町村を造成する趣旨から、御厨・原・今井の三ヵ村をもって一村とする合併案が諮問された。この県の合併案にたいし御厨村は、「明治八年戸部・布施および藤牧村西藤牧組の三ヵ村が合併してできたものであり、区域も広く、そのうえ戸数三二〇戸余もあって、十分独立の資力がある」として一村のまま独立を強く希望した。県は御厨村の希望を認め、合併もなくそのまま新村として発足した。御厨村は昭和三十年(一九五五)中津村と合併し、昭和村が発足するまで存続した。