明治八年(一八七五)戸部村と布施村の二ヵ村が合併し、新しい村名を「御厨(みくりや)」としたことは、この地区が伊勢神宮の御厨(神領)であったことに由来する。「御」は尊敬の接頭語、「厨」は黒屋の意で、食物を料理するところ、台所の意味であるが、平安時代(七九四~一一九二)以来伊勢神宮に供物(くもつ)を貢進する伊勢神宮の所領をさすようになった。
御厨
明治八年(一八七五)戸部村と布施村の二ヵ村が合併し、新しい村名を「御厨(みくりや)」としたことは、この地区が伊勢神宮の御厨(神領)であったことに由来する。「御」は尊敬の接頭語、「厨」は黒屋の意で、食物を料理するところ、台所の意味であるが、平安時代(七九四~一一九二)以来伊勢神宮に供物(くもつ)を貢進する伊勢神宮の所領をさすようになった。