『吾妻鏡』文治(ぶんじ)二年(一一八六)三月の「関東知行国乃貢未済庄々注文」に「布施本庄・布施御厨」の荘園名がみえ、上布施・下布施はこの荘園にふくまれていたところから地名として継承されてきた。下布施区は、天保(てんぽう)三年(一八三二)上布施村の枝村が独立して下布施村となった。「布施」は「人に施しをする施設のあったところ」とか、「宿泊所である布施屋のあったところ」からきている(『更埴地方誌』)。
布施
『吾妻鏡』文治(ぶんじ)二年(一一八六)三月の「関東知行国乃貢未済庄々注文」に「布施本庄・布施御厨」の荘園名がみえ、上布施・下布施はこの荘園にふくまれていたところから地名として継承されてきた。下布施区は、天保(てんぽう)三年(一八三二)上布施村の枝村が独立して下布施村となった。「布施」は「人に施しをする施設のあったところ」とか、「宿泊所である布施屋のあったところ」からきている(『更埴地方誌』)。