御厨地区でも三〇年ほど前まで、四、五軒で釜(かま)仲間をつくって、味噌(みそ)づくりをしていた。五月になると庭にかまどをつくって大豆を煮て、やわらかくなった大豆を、むかしは臼(うす)で、機械が入ってからは機械でつぶし、それを手でにぎって味噌玉をつくり、乾燥させる。いっぽう米でこうじをつくる。
味噌仕入れの当日は、台所の土間にむしろを敷いて、洗った味噌玉を包丁で細かくする。それをむしろの上へひろげて、米こうじと塩をいれて何度もかきまぜる。その後、桶(おけ)に詰めてしっかりと石の重しをのせておく。
味噌仕入れが終わると、女衆はお茶を飲みながら世間話に花を咲かせ、楽しいひとときをすごした。五月に仕入れた味噌は土用(どよう)と寒(かん)をとおすと翌年にはおいしい味噌になったという(『川中島のむかしがたり』)。