昭和二十五年から戸部で操業していた平和石綿(絹織物)は手狭になったことなどの理由から同三十五年に原へ移転した(『更埴地方誌』)。
『長野県工業名鑑』(一九九七)によると、機械部門では青木製作所川中島工場(コンデンサーほか)、協立工業(鉄骨・橋梁・鉄塔)、酒井製作所(無線用通信機械器具)、田中工業(鉄製手すり)、長野工業川中島工場(マイコンディスプレー組み立て)、さらに木工業の日装工作所(家具)、繊維は川中島縫製(婦人服など)、食料品では千曲製菓(観光土産菓子)、明治乳業長野工場(牛乳加工・アイスクリーム)、八州酒造(清酒)、横綱酒造(清酒)、ワールド食品(やきとり・味付け肉)などの会社が地区に散在しているが、ほとんどは中小企業で、戦後の操業である。御厠地区の平成八年の産業別従業者数は『市統計書』によるとつぎのとおりである。かつて農業主体の地が大きく変わっていることがわかる。
卸小売業飲食店一二五二人(四六・七パーセント)、製造業四六二人(一七・二パーセント)、サービス業三五〇人(一三・一パーセント)、建設業二六五人(一〇パーセント)、運輸通信業一九〇人(七パーセント)、農業一〇七人(四パーセント)、金融・保険業三六人(一・三パーセント)、不動産業一九人(〇・七パーセント)である。