川中島地区は犀口(さいぐち)を扇の要(かなめ)として放射状に広がる犀川扇状地の扇頂部に位置し、その北側を西から東へ犀川が流れている。犀川を境にして向かいは安茂里、西は篠ノ井小松原、南は川中島町今井・御厨(みくりや)、稲里町田牧、東は丹波島(現三本柳東)、稲里町中氷鉋(なかひがの)各地区に接する。
犀川扇状地、いわゆる川中島平は南東に緩傾斜の堆積(たいせき)平地で肥沃(ひよく)な土壌である。地区の面積は五・一七平方キロメートル、川中島小学校の標高は三六二・二メートルである。太平洋戦争後ころまでは二毛作を主とした養蚕もさかんな農村地帯であった。その後、リンゴ、モモなどの果樹や換金作物の栽培もさかんになった。明治二十一年(一八八八)に地区内を信越線がとおり、さらに大正六年(一九一七)には川中島駅が設置されて、西山部地域の玄関口ともなり朝夕は通勤通学者でにぎわっている。地区の東部には慶長(けいちょう)年間(一五九六~一六一五)に開かれた旧北国街道(現市道三三〇号線)が南北に縦貫し、主要地方道長野上田線が地区の南東部をかすめている。平成九年(一九九七)には国道一九号長野南バイパスが東西にとおり、長野新幹線も通じ交通は一段と便利になった。
最近は若葉町・今里・三本柳などの団地がつくられ、戸口も増加した。反面、農地は減少し勤め人や兼業農家が増し、旧長野市の郊外として川中島駅周辺や街道沿いをはじめ全般に宅地化、都市化がすすんでいる。