明治二十二年(一八八九)近代的地方自治確立を目ざした市制・町村制の施行によって、上氷飽村と四ッ屋村は合併して上氷鈎村となった。その合併の経緯は、県の合併計画により、明治二十一年郡長から上氷鉋村・四ッ屋村・今里村と小松原村の四ヵ村を一村とする合併案が各村に諮問された。これにたいし上氷鉋村は、地形、人情などを同じくする四ッ屋村との合併を望み、四ッ屋・今里の両村は諮問案による四ヵ村はそれぞれ地勢、人情、習慣などを異にしているとして一村のまま独立を主張した。各村の意見がまちまちであった。四ヵ村は資力にとぼしく一村独立は不可能であるとの郡長の意見にしたがい、知事から四ヵ村合併を再諮問したところ、上氷鉋村と四ッ屋村は互いに両村の合併を希望し、今里村は一村独立を主張し、小松原村は岡田村との合併を希望する答申をした。知事もやむをえないと認め今里村は一村、小松原と岡田両村は合併して岡田村となった。上氷鉋村は明治二十三年五月十七日笹井村と改称した。