享保(きょうほう)十五年(一七三〇)に上田藩松平氏から分知して成立した塩崎旗本知行所〔塩崎・今井・上氷鉋・中氷鉋(一部)五〇〇〇石〕は、陣屋を塩崎村に設けて、郷役人(代官)によって支配し、各村の庄屋は代官の支配下に置かれた。上田藩松平領成立時の宝永(ほうえい)三年(一七〇六)に提出された「上氷鉋村明細帳」によると、庄屋は半右衛門(東福寺氏)だった。寛保(かんぽう)二年(一七四二)には、半右衛門のこどもの与平治が郷役人(代官)に任命され、同時に「御分知割番」の兼帯を命じられている。その後も東福寺の子孫が郷役人をつとめた。その役宅は現上氷鉋古屋にあった。また、東福寺(代官家)の墓は唯念寺墓地内にある。